来る6月16日(日)の第70回ふれあい文化講座で講演して下さる東村純子さん(福井大学講師)の御著作『考古学からみた古代日本の紡織』(六一書房)が、第三回日本考古学協会大賞に決まったそうです。
東村さん、おめでとうございます!
このタイミングで御講演を聴けるなんて、超ラッキーです。ご興味おありの方は是非、木津川市中央交流会館(いずみホール)へ。
ふれあい文化講座の詳細は、このホームページでご確認ください。
2013/6/11
来る6月16日(日)の第70回ふれあい文化講座で講演して下さる東村純子さん(福井大学講師)の御著作『考古学からみた古代日本の紡織』(六一書房)が、第三回日本考古学協会大賞に決まったそうです。
東村さん、おめでとうございます!
このタイミングで御講演を聴けるなんて、超ラッキーです。ご興味おありの方は是非、木津川市中央交流会館(いずみホール)へ。
ふれあい文化講座の詳細は、このホームページでご確認ください。
— posted by 小大豆 at 06:16 pm
2013/6/3
こんにちは。会員Kです。
今回は、今年度に鹿背山城プロジェクトチームで計画中の企画に関して4月28日に行った検討・下見会の模様を報告します。
いつものことながら、速報性が乏しくてすみません。
鹿背山城プロジェクトでは、一昨年には鹿背山城跡の模型を製作し、昨年度はその模型の展示会を各地で開催し、また、老朽していた鹿背山城跡の遺構表示看板の新・増設を行い、さらに全3回の『鹿背山城何でも知ろう講座』を開催しました。
昨年度の『鹿背山城何でも知ろう講座』では、鹿背山城を広く知って頂くことを目的に、講演会や見学会、城跡整備の体験会を行いましたが、今年度は「中世・城間の伝達を考える」をテーマに、講演会のほか、中世の城間での情報伝達の手段の一つとして『のろし』の実験や、鹿背山城から鹿背山城の最晩期の城主であった松永久秀の本拠地である多聞城(多聞山城)跡までのウォーキングイベントなどを計画中です。
今回の検討・下見会では、まず午前中に、鹿背山城で『のろし』の方法や規模、実施に向けての必要な準備などについて見当しました。
ゴールデンウィーク前半の新緑の美しい時期で、まだ虫や獣を見かけることもなく、鹿背山城へ登るのは、気候的にもこの頃が最もお勧めかも知れません。
午後は、ウォーキングイベントの下見として、鹿背山城から、想定ルートで徒歩約8キロ離れた奈良市法蓮町の多聞城(現・若草中学校)まで、プロジェクトメンバーで実際に歩いてみました。
写真多めでお届けいたしますが、イベントでもほぼ同じコースを歩くことになりますので、詳細は当日の「お楽しみ」ということにしたいと思います。
鹿背山城プロジェクトチームでは、引き続き会議や準備を重ねて、『鹿背山城何でも知ろう講座』や『鹿背山城跡模型展示会』を成功させ、ますます鹿背山城をPRしていきたいと思います。
守る会会員の皆様のご協力、そして広く皆様のご支援とご愛顧を賜りたく、今年度もどうぞよろしくお願いいたします。
— posted by 小大豆 at 05:55 am
2013/5/17
先の総会で承認された今年の事業の「鹿背山城の整備」に木の伐採があり、主郭の南から南西方向の大きな木が候補に上がってます。
5月16日に山城町森林組合から現地に見積もりに来られると聞き参加しました。
山城町森林組合の方に、主郭付近でクヌギにナラ枯れが始まっていると、実際に「カシノナガキクイムシ」が入っている木を見ながら教えてもらいました。教えてからもらって気をつけて見るとけっこうたくさんの木に「ナラ枯れ」が始まっているのが解ります。初夏にキクイムシが羽化して飛び立つようになると一気に広がるだろうという事です。
その後、伐採の候補になっている2箇所を確認してもらい山を降りました。
今回はナラ枯れが気になった山行でした。
— posted by kanri at 01:59 pm
2013/4/24
こんにちは。会員Kです。
ご報告が遅くなり、丁度一月が経過してしまいましたが、周山城見学会の報告です。
『木津の文化財と緑を守る会』では、鹿背山城の整備活動を始めてから、鹿背山城と他の城を比較して学習することを目的に、十年以上に渡って近畿各地の山城を年に1回見学に訪れています。今回は3月24日(日)に、織田信長の配下で丹波方面の攻略にあたった明智光秀が築いたとされる周山城(京都市右京区京北)を訪ねました。
京都駅から西日本JRバスに乗って1時間40分、丹波地方の山間、桂川(大堰川)に弓削川が合流する地に開けた京北周山町(京都市右京区)の集落、その西方の山中に周山城はあります。
集落内を南北に貫く国道は京都と若狭を結び、東西の国道は近江から洛北大原を経て、桂川に沿って丹波・山陰道へと繋がります。これは現代の国道の話ではありますが、おそらく戦国時代から同様の道が存在したと考えられ、この地がまさに水陸交通の要衝であり、丹波の攻略や支配の上で欠かすことの出来ない拠点として、この地に城が築かれたのだろうとだろうと感じます。
当初予定していた1月14日の開催が悪天候で中止となり、この日も数日前までは『一時雨』などの不安な予報で開催を危ぶんでいました。しかし、当日は思いのほか好天に恵まれ、今回初めて当会のホームページなどを使って募集を行ったこともあり、会員・講師9名に対して、会員以外から14名という沢山の方がご参加くださり、トラブルもなく盛会のうちに見学会を終えることが出来ました。
会員外からご参加くださった皆様、お忙しい中毎年講師をお引き受け下っている中井均先生、そして、快く施設をお貸しくださった『道の駅 ウッディ京北』の皆様に感謝いたします。有難うございました。
(※1)明智光秀 周山城物語/発行:(財)京都ゼミナールハウス・1995
その他、周山城の詳細については、下記文献などをご参照下さい。
・京都府の地名(日本歴史地名大系26)/㈱平凡社
・図説中世城郭事典②/㈱新人物往来社
・日本城郭大系⑪/㈱新人物往来社
・京北町誌/京北町
・歴史読本2008年5月号(織田、豊臣の城を歩く)/㈱新人物往来社
最後に『ウッディ京北』のホームページをご案内します。周山城の見学や京北地域の観光、かやぶき集落で有名な美山町や若狭方面への道中の休憩などにお勧めです。 http://woody.fuw.jp/index.html
— posted by 小大豆 at 03:07 pm
2013/3/15
こんにちは。会員Kです。
前回の記事でお知らせした通り、3月9日(土)に木津川市教育委員会さんによる鹿背山城跡第5次発掘調査の現地説明会が行われ、参加させて頂きましたので、今回はその発掘調査の簡単な内容と現地説明会の様子をご紹介します。
鹿背山城跡では平成20年から1年に一度、連続して発掘調査が行われており、平成24年度が5年目となるため“第5次”ということになります。
第5次調査の主な調査地は、鹿背山城内の南東の峰上にある曲輪Ⅲ‐1の北側にある堀切と、南側の一段低い曲輪(曲輪Ⅲ‐2)でした。
曲輪Ⅲ‐1では昨年度に調査(鹿背山城跡第4次調査)が行われており、その際には曲輪の平坦面一杯に十字状のトレンチ(発掘調査のために地面を掘り下げる部分)を設けて調査が行われ、この曲輪のある峰が本来の地形から大きく造成されていることが確認されています。
今回の調査地は、曲輪Ⅲ‐1の斜面を下った昨年度調査地の延長線上に設けられており、昨年度の調査と併せて考えることで、曲輪Ⅲ‐1とその周辺がどのように造成されているのかを、より明瞭に理解できたように感じました。
それでは、調査地と説明会の様子をご紹介したいと思います。が、文章だけでお伝えするのは私の様な素人には困難なため、写真を使ってご紹介します。今回の現地説明会は天候に恵まれ、少し山を登ると汗ばむような陽気の中で行われたこともあってか60人以上の方が参加されました。昨年は雨で中止になりましたが、一昨年を上回る参加者数だったそうです。
過去の調査報告書や現地説明会資料にも記されている通り、平成20年度からの鹿背山城跡発掘調査は5ヵ年計画でした。しかし、帰りに城麓の西念寺に設置された受付で伺ったところ、大変うれしいことに、来年度に第6次の調査が予定されているそうです。具体的な調査地などは調査委員会を通して決められることになるのでしょうが、今後どのような新しい発見があるのか、今から楽しみです。
今回の現地説明会にお越しになれなかった方にも、次の機会には是非、普段は堆積した土に埋もれて観ることのできない、「鹿背山城の真の姿」をご覧いただければと思います。
参考文献
・鹿背山城跡第5次発掘調査 現地説明会資料
(平成24年度 木津川市埋蔵文化財資料 No.2)/木津川市教育委員会
・鹿背山城跡第4次発掘調査 現地説明会資料
(平成23年度 木津川市埋蔵文化財資料 No.2)/木津川市教育委員会
— posted by 小大豆 at 02:54 pm
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