こんにちは。会員Kです。8月3日(日)に『鹿背山城なんでも知ろう連続講座』の第二回として講演会を開催しましたのでご報告します。
守る会の鹿背山城プロジェクトチームは、午前9時30分に木津川市中央交流会館『いずみホール』に集合、会場の準備を始め、午前11時からロビーを開場し、鹿背山城跡模型と鹿背山城跡の写真の展示を行いました。
講演会は午後1時30分からでしたが、かなり早くから模型や写真を観に来て下さる方もおられました。
午後1時30分に講演会を開演。岩井会長の挨拶の後、先ず、戦国期三好政権の研究者と知られる天野忠幸先生(関西大学・滋賀短期大学非常勤講師)にご登壇頂き『松永久秀の政治動向と南山城』との演題で、三好長慶の家臣から戦国大名となった松永久秀について史料から読み取れる人物像や、南山城地域との関わりについてお話し頂きました。
松永久秀については、今年4月に刊行された天野先生のご著書『三好長慶』の中でも取り上げておられますので、ご紹介しておきます。
『三好長慶~諸人之を仰ぐこと北斗泰山~』
著者:天野忠幸
発行:ミネルヴァ書房
休憩を挟んだ後、京都府立山城郷土資料館主査の森島康雄先生にご登壇頂きました。
演題として掲げられた『鹿背山城は松永久秀の城であるのか』という疑問に、考古学の見地から迫ろうという内容でした。
そして、鹿背山城跡で行われた6次までの発掘調査で出土した中国製陶磁器の年代や出土状況などから森島先生が導かれた答えは「松永久秀の城とは考えにくい。」という、とても衝撃的かつ刺激的なものだったのです。
今回の講演会では城郭構造や縄張の研究をしておられる先生をお招きしていなかったのですが、今年の講演会の内容を踏まえ、より多くの視点から鹿背山城と松永久秀の関わりを検討する機会が必要だと感じました。
次回、鹿背山城なんでも知ろう連続講座の第三回は10月5日(日)に講演会を予定しています。
従来考えられていた最終的な鹿背山城縄張の外側で鎌倉時代の土師器が出土して話題となった今年3月の発掘調査の成果についての木津川市教育委員会の調査担当者さんのご報告をはじめ、鹿背山城の元となったともいわれる鹿山寺や興福寺との関わりについての講演を予定しています。
是非、次回の講演会にもご参加下さいますよう、お願いいたします。
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