こんにちは。会員Kです。
ご報告が遅くなり、丁度一月が経過してしまいましたが、周山城見学会の報告です。
『木津の文化財と緑を守る会』では、鹿背山城の整備活動を始めてから、鹿背山城と他の城を比較して学習することを目的に、十年以上に渡って近畿各地の山城を年に1回見学に訪れています。今回は3月24日(日)に、織田信長の配下で丹波方面の攻略にあたった明智光秀が築いたとされる周山城(京都市右京区京北)を訪ねました。
京都駅から西日本JRバスに乗って1時間40分、丹波地方の山間、桂川(大堰川)に弓削川が合流する地に開けた京北周山町(京都市右京区)の集落、その西方の山中に周山城はあります。
集落内を南北に貫く国道は京都と若狭を結び、東西の国道は近江から洛北大原を経て、桂川に沿って丹波・山陰道へと繋がります。これは現代の国道の話ではありますが、おそらく戦国時代から同様の道が存在したと考えられ、この地がまさに水陸交通の要衝であり、丹波の攻略や支配の上で欠かすことの出来ない拠点として、この地に城が築かれたのだろうとだろうと感じます。
周山町に到着し、逸る気持ちを抑えつつ、まずは予約しておいた『道の駅 ウッディ京北』の研修室をお借りし、講師として御同行頂いた中井均先生(滋賀県立大学准教授)にご講演頂きました。
ご教授頂いた周山城の歴史(築城時期や目的、史料上の記述、石垣が構築された時期、廃城の時期など)や明智光秀や豊臣秀吉との関わり、また周山城の見所や、さらには考古学的な重要性や学術的な課題などのお話で頭を満たし、そして昼食でお腹を満たした後、いよいよ周山城へ登城しました。
道の駅から周山城がある城山への登山口までは徒歩で約10分。そこから比高約210mを登ります。現在は、登山道や城道の一部が京都1周トレイルコースとしても利用されており、比較的容易に散策ができるように整備されていますが、かつては「地元の町民でさえも城跡への道が分かり難く」(※1)かったようで、城山放談会や周山城址を守る会など地元の方々の多年の努力の成果が窺い知れ、同じく山城の整備活動を行う団体として、とても良い刺激を頂きました。
周山城内では東の尾根上の曲輪(Ⅲ・Ⅱ)を経て主郭へと至り、西の尾根筋を、総石垣の城と土の城との間にある二重の堀切の手前までで引き返し、最後に南の尾根筋を見学しました。残念ながら総石垣のいわゆる『周山城』の西にある石垣を持たない城(土の城)まで見学する時間がありませんでしたが、要所要所で中井先生の解説を聞き、事前の講演で伺った話や参加者それぞれの知識や経験を頼りに、城の構造や歴史に思いを巡らせました。
当初予定していた1月14日の開催が悪天候で中止となり、この日も数日前までは『一時雨』などの不安な予報で開催を危ぶんでいました。しかし、当日は思いのほか好天に恵まれ、今回初めて当会のホームページなどを使って募集を行ったこともあり、会員・講師9名に対して、会員以外から14名という沢山の方がご参加くださり、トラブルもなく盛会のうちに見学会を終えることが出来ました。
会員外からご参加くださった皆様、お忙しい中毎年講師をお引き受け下っている中井均先生、そして、快く施設をお貸しくださった『道の駅 ウッディ京北』の皆様に感謝いたします。有難うございました。
(※1)明智光秀 周山城物語/発行:(財)京都ゼミナールハウス・1995
その他、周山城の詳細については、下記文献などをご参照下さい。
・京都府の地名(日本歴史地名大系26)/㈱平凡社
・図説中世城郭事典②/㈱新人物往来社
・日本城郭大系⑪/㈱新人物往来社
・京北町誌/京北町
・歴史読本2008年5月号(織田、豊臣の城を歩く)/㈱新人物往来社
最後に『ウッディ京北』のホームページをご案内します。周山城の見学や京北地域の観光、かやぶき集落で有名な美山町や若狭方面への道中の休憩などにお勧めです。 http://woody.fuw.jp/index.html
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