こんにちは。会員Kです。
2月と3月は忙しくしていて、前の投稿から早くも一ヶ月以上がたってしまいました。
この間、毎週末に木津へ通っては石碑探しをしていました。
(※Kは京都市内に住んでおります。)
そして、その成果を3月20日(日)の会員研究発表の場で報告させていただきました。
2012年に木津の文化財と緑を守る会の会員になって以来、木津へ来たついでに少しずつ探して記録していたのですが、今回の発表の機会を頂き一気にその活動を進めましたので、この一ヶ月は見つけた石碑を一覧表に纏め、石碑に刻まれた文字や文章をパソコンで記録していく作業に追われていたわけです。
お陰さまで、旧相楽郡木津町の全域で約二百基の石碑を記録することが出来ました。
石碑に刻まれた文字や文章を読んでいますと、その多くに、木津町に関わる先人の様々な思いが込められていることがわかります。
今後はその一つ一つの石碑の物語を探り、何かしらの形で資料として残したいと考えています。
このブログでも時々にご紹介させていただきますので、お読みいただければ幸いです。
[ カテゴリー » 活動日記 ]
3月20日(日) 木津の石碑調査について報告しました
2016/3/24
— posted by 小大豆 at 10:49 pm
鹿背山城の整備と会員研究発表会
2016/3/22
私mは、3月20日の鹿背山城の整備と会員研究発表会に参加しました。
午前中は第208回 鹿背山城の整備を行いました。
今回の今回の参加者は5名です。作業は、工具用の倉庫の周辺です。
立ち枯れし、倒れ掛かった竹を倒して処分しやすいように積み上げました。
時間内にできる範囲はわずかですが、作業した範囲はすっきりとしました。
午後からの会員研究発表会です。
まず、倉氏が「木津の石碑調査(仮)記録」~石碑に教わる地域の歴史と先人の思い~、という演題で発表されました。
旧木津町を隈なく歩いて石碑を探し調査された数は195と驚くべき数です。
石碑の見方や、地域の歴史と先人(施主)の思いがうかがえる内容で興味深かったです。
レジメは石碑の詳細も掲載されてますが、もっと充実したものを作成される予定なのでその完成が待たれます。
次に、岩井氏が「木津本町の奈良街道はいつ頃できたか」、という演題で発表されました。
奈良時代の平城京と泉津・平城京外京と泉木津・木津本町と木津城と古代からの上津道が初代奈良街道として、その後時代の変遷で三代目の奈良街道と変わっていったことを簡潔に説明されました。テーマの絞った内容でわかりやすかったです。
— posted by kanri at 06:25 pm
戦国の城に響く鐘の音
2016/2/19
こんにちは。鹿背山城プロジェクトチームのKです。
木津の文化財と緑を守る会では、2月14日(日)『狼煙と鐘の大実験』(平成27年度 鹿背山城なんでも知ろう連続講座④)を開催しました。当日は荒天が懸念されましたが、雨は朝のうちに止み、青空の見える鹿背山城から無事に狼煙を揚げ、半鐘を打ち鳴らすことができました。
一昨年度の『歴史探訪ウォーク 鹿背山城から多聞城へ』と昨年度の『第1回 鹿背山城のろし大実験』に続き、戦国時代の情報伝達を考える企画の第三弾となった今回の実験の最大のテーマは「鹿背山城で有事の際に鐘を鳴らした場合、その音は果たしてどこまで届くのか?」を確かめることでした。
今回の実験で使用した鐘は、鹿背山城の主郭まで持ち運べるサイズであることや、素人が簡単に鳴らすことが出来る必要もあり、消防団に保管されていた半鐘をお借りしました。ただし、当日の中井均先生のご講演でもご指摘いただいたのですが、戦国時代にお城や戦場で使われた鐘がいわゆる半鐘と呼ばれる小型の釣鐘だったのかどうかという疑問が残りました。中井先生のお話に出た各地の山城に残る『鐘の丸』や『鐘搗堂』などと称される曲輪の伝承からは大型の梵鐘の様な鐘が想像できますし、戦場で陣鍾として使われたといった伝承を持って各地に伝わる鐘も、多くが梵鐘と呼ばれる大きさであることからも、やはり戦国時代の情報伝達には梵鐘の方が相応しいのではないかという気がしました。
私自身、今回の実験を意識して『陣鐘』として使われたとの伝承を持つ二つの鐘を京都市内で訪ねたのですが、ともに梵鐘と呼ばれる大きさの鐘でした。
また、鹿背山城の頂上から半鐘を鳴らしても、せいぜい2km程度の距離しか届かず、それ以下の距離でも地形によっては麓の集落でさえ聞こえない場所が多くあったという今回の実験結果も山城で使われた鐘が半鐘ではなかったことを裏付けているように感じます。
(※結果を含め、今回の実験の報告は何かしらの形で行われる予定ですので、今しばらくお待ち下さい。)
この点、来年は是非とも梵鐘で実験…といいたいところですが、鹿背山城の主郭まで梵鐘を持ち上げることは到底出来そうにありません。
何か良い方法をお持ちの方が居られましたら是非とも『木津の文化財と緑を守る会』までご一報下さい(笑)。
折角ですので、終わりに私が京都市内で訪ねた二つの梵鐘をご紹介いたします。
高さ約1m、直径約63cmの小振りな梵鐘ですので、馬に曳かせるなどすれば陣鐘として戦場で運ぶことも容易だったのかも知れないと想像しました。
— posted by 小大豆 at 11:30 pm
「狼煙と鐘の大実験」を予定通り実施しました。
2016/2/16
2月14日「狼煙と鐘の大実験」を予定通り実施しました。
当日の未明まで強風と強い雨が続いて、実施に困難を極めるかと思いましたが8時ごろには雨も上がりほっとしました。
今回は鐘(半鐘)をたたいて、音の伝達範囲の確認も企画に加わりました。
25か所の観察地点で画像、鐘の音が聞こえる聞こえないの報告をしてもらいました。
料理担当の方々の手による豚汁(餅入り)を観測データの報告後においしくいただきました。
午後は場所を変えて、『講演と狼煙鐘の報告会』を行いました。
第一部は中井均先生(滋賀県立大学教授)が「中世の情報伝達方法の狼煙と鐘の音」というテーマで講演していただき興味深く聞きました。
第二部は各観察地点からの報告と、使用した鐘の出所由来を田中淳一郎先生(山城郷土資料館資料課長)が調査して解説してくださいました。
今回もたくさんの方に協力をしていただいて大実験を終えることができました。
動画に撮ることによって、変化していく狼煙の様子がよくわかりました。
特にドローンで撮影していただいたことは、普段見えない角度での煙の状態や山の様子がわかり興味深かったです。
また、メディアによってはパソコンに取り込めないデータがあり、申し訳なかったと思います。
皆様ありがとうございました。
実験のまとめは別途なされますが実験の様子の報告です。
— posted by kanri at 05:43 pm
歴史探訪「水口城と水口岡山城」を開催しました
2016/1/18
こんにちは。鹿背山城プロジェクトチームのKです。
1月11日(月・祝)に毎年恒例の城郭見学会を開催しました。
例年は中世の山城を訪ねてきましたが今年は少し趣向が変わり、少し時代が下った豊臣時代の山城、滋賀県甲賀市にある水口岡山城跡と、さらに下って江戸時代の水口城跡の2ヶ所を訪ねました。
午前中は甲賀市の施設をお借りして、毎回お世話になっております、滋賀県立大学の中井均先生に事前講義をして頂きました。
現地で城の構造を観るだけでなく、その城がいつ頃どの様な場所にどの勢力によって何の為に築かれ、どんな事件があり、考古学的な調査ではどのようなことが分かっているのか・・・といったことを予め知っておくことで、現地での理解が何倍にも深まります。
更に講義後に水口歴史民俗資料館の展示を通して水口について学ぶ時間も設けました。
午後は水口城跡に場所をお借りして昼食を摂った後、いよいよ見学開始。
まずは水口城の出丸跡の隅に櫓を模して建てられている水口城資料館を見学した後、水口城本丸跡の外周を一周しながら櫓台や水堀、それらを固める石垣を観て巡わりました。
水口城跡から水口岡山城跡までの移動はかつての東海道筋を歩き、水口岡山城時代の城下町の名残と考えられている特徴的な三筋町で知られる近世の水口の宿場町の界隈を通り、そこから水口岡山城の大手口桝形跡の推定地を経て、現在は古城山と呼ばれる水口岡山城跡に登りました。
約2時間かけて山上の曲輪跡を巡り、石垣や竪堀、堀切、食い違い土塁などの遺構ごとに中井先生から様々な解説をして頂き、また、発掘が行われた場所ではその成果についても解説して頂きました。
穏やかな気候にも恵まれ、鹿背山城をはじめとした中世の土の城とはまた違う、織豊期や近世の城の面白さをジックリと味わった一日でした。
今回の見学会では水口図書館、水口歴史民俗資料館、水口城資料館など現地の皆様に大変お世話になりました。有難うございました。
なお、水口岡山城や水口城について詳しくお知りになりたい場合は以下の様な書籍や冊子が参考になると思いますのでご紹介しておきます。
・甲賀市史【第7巻】甲賀の城(発行:甲賀市)
・近江の山城ベスト50を歩く(編:中井均/発行:サンライズ出版)
・図解 近畿の城郭Ⅰ(編:城郭談話会/監修:中井均/発行:戎光祥出版)
・水口岡山城跡-秀吉政権要の城-(発行:甲賀市教育委員会)
— posted by 小大豆 at 10:27 pm
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